ペストコントロールと公衆衛生史(1-3)
公益社団法人日本ペストコントロール協会 副会長 元木貢氏
11.わが国における害虫獣防除法(薬剤機材等)の歩み
昭和20年(1945年)代には塩素系や天然ピレトリンの油剤散布、オルソ剤、二臭化エチレン乳剤などを散布していましたが、昭和30年(1955年)代になると有機リンや塩素系薬剤の散布、農業機械の三兼機による油剤の煙霧を行っていました。スイングホグというジェットエンジン式の煙霧機がこのころ輸入されました。昭和40年(1965年)代にはジクロルボス樹脂蒸散剤の開発、松下電工がネズミ用忌避剤(シクロヘキシミド)を上市、ラムタリン会を結成して防除をシステム化し新規業者が多数参入してきました。
昭和50年(1975年)代になるとマイクロカプセル剤、非対象型燐剤も開発され、ピレスロイド剤によるULV(高濃度少量散布)が登場、ネズミ粘着トラップが急速に普及していきました。昭和60年(1985年)代には調査にゴキブリ用粘着トラップが使われ始めました。平成(1989年)に入るとIGR剤、液化炭酸ガス製剤「ミラクン」、ゴキブリ用ジェルベイト剤が登場しました。このころクマネズミのワルファリン抵抗性が問題となりスーパーラットとマスコミで取り上げられています。ネズミ駆除協議会では「ビルの防鼠構造・工事マニュアル」を発行、PCOへ啓発活動を行っています。平成14年(2002年)に日本ペストコントロール協会でIPM宣言、建築物衛生法施行規則の改正で調査が義務化され、平成20年(2008年)には維持管理要領・マニュアルが通知され、IPMが盛り込まれました。このころピレスロイド抵抗性のトコジラミ、ゴキブリが問題となり、令和3年(2021年)、50年ぶりに新規作用機序のブロフラニリドが上市されました(表1)
表1. わが国における害虫獣防除法(薬剤機材等)の歩み(緒方,2012を改変)
12.わが国における防疫用殺虫剤の使用歴と販売量
戦前には除虫菊剤、デリス・煙草粉剤、ひ酸塩、青酸、クロールピクリン、硫酸だんご、オルソ剤、蚊取り線香などが使われていましたが、昭和25年(1950年)よりDDTをはじめ塩素系殺虫剤が登場しました。昭和46年(1971年)には発がん性を疑われオルソ剤以外の塩素系殺虫剤は製造・販売が中止となりました。その後有機リン剤に移行、即効性・安全性からピレスロイド剤が多く使用されることになりました。昭和53年(1978年)のメトプレンを皮切りに昆虫成長制御剤(IGR)が次々に上市されました。ゴキブリに高い抵抗性の獲得がみられるようになって、ヒドラメチルノンなどのジェルベイト剤が登場、令和3年(2021年)には50年ぶりに新規作用機序のブロフラニリドが上市されました。
表2. わが国における防疫用殺虫剤の使用歴(緒方,2012を改変)
防疫用殺虫剤の市場は、昭和61年(1986年)には住民への配布もあり年間70億円を超えていましたが、IPMの普及も相俟って年々減少を続け現在では14億円と5分の1以下となっています(図10)。
図10. 防疫用殺虫剤の販売数量と金額推移(日本防疫殺虫剤協会)
13.殺鼠剤(医薬部外品)一覧と販売量
昭和26年(1951年)許可のワルファリン、昭和32年(1957年)の燐化亜鉛、昭和37年(1962年)のクマテトラリルはいずれも60年以上も使われています。一番新しいのはジフェチアロールですが、すでに上市から19年が経過しています。他の殺鼠剤は安全性及び喫食性の問題から市場には出回っていません。飲み薬と同じ医薬品(殺鼠剤はすべて医薬部外品)で同様の安全性を求められているため、新規開発が極めて難しいのが現状です。
表3. 殺鼠剤(医薬部外品)一覧と販売量(緒方,2012を改変)
販売金額は薬局やスーパーで売られている家庭用と併せて平成18年(2006年)には18億円あまりでしたが、現在では8億円と半分以下となっています(図11)。
図11. 殺鼠剤(防疫用医薬部外品)の国内出荷金額の推移(長岡2019)
14.1970年代のPCOによる害虫防除
図12は昭和45年(1970年)代のある中央省庁本庁舎の害虫駆除風景です。大人数で乳剤を10倍に希釈しハンドスプレーヤ-で事務室、廊下の隅々を散布、厨房では食器類は終了後に洗浄をお願いして薬剤を全面に散布しました。散布後はチャバネゴキブリの死骸が大量に出てきますが、6か月後には同じ状態になります。終了後に全館に煙霧作業を行います。朝日新聞の日曜版に数寄屋橋のショッピングセンターにおける害虫駆除風景が掲載されていました(図12)。
図12. 1970年代の建物の害虫駆除風景
官庁建物の全館害虫駆除風景
厨房内の乳剤散布
散布後には大量にゴキブリの死骸
煙霧作業