ペストコントロールと公衆衛生史(1-1)

古来より人類は様々な疫病に悩まされてきました。日本でも流行り病 (はやりやまい)を治めるため様々な神事が行われています。明治維新の開国とともにコレラやペストが海外から持ち込まれ大きな災いとなりました。今回は第二次世界大戦後を中心にペストコントロールと公衆衛生史を、故緒方一喜先生が当社主催の技術交流会で講演されたスライドを元にペストコントロール業界の活動を交えてご紹介します。なお緒方先生には生前にスライド使用の承諾をいただいて、国立保健医療科学院で開催されている保健所の環境衛生監視員を対象にした「住まいと健康」研修で使用した内容です。 ※4回に分けてお届けします。

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公益社団法人日本ペストコントロール協会 副会長 元木貢氏

1.ペストコントロールとは

ペスト(Pest)とはドイツ語では病気のペスト(黒死病)ですが、英語では厄介者、ヒトに危害を加える有害生物全般のことを言います。コントロール (Control) は制圧する、管理すること、オペレーター(Operator)は技術者、この3つの頭文字をとって私たちをPCO(有害生物防除技術者)と呼びます。

 

2.環境変化による発生害虫獣の変遷

戦前は野外にはブユやハマダラカ、ヤブカが、住宅にはノミやトコジラミが、体表にはシラミがついて人々を悩ませていました。戦後はまだまだインフラが不備で、町中のゴミ箱にはイエバエが、下水やどぶ川にはアカイエカが、汲取り便所にはクロバエの幼虫がうじゃうじゃいました。水田にはコガタアカイエカやシナハマダラカが日本脳炎やマラリアを媒介していました。近年になるとグローバル化、温暖化によりアルゼンチンアリやゴケグモが、最近ではヒアリなどの外来生物が侵入し定着しつつあります。ビルはチャバネゴキブリやチカイエカ、クマネズミの絶好の棲み家となり、住宅の雨水桝からヒトスジシマカが、屋内には喘息やアトピー性皮膚炎、刺咬症を起すヒョウヒダニやツメダニが、庭にはスズメバチが巣をつくり、ネズミが住宅に侵入、トコジラミ持ち込みも珍しくなくなりました(図1)。

図1. 環境変化による発生害虫獣の変遷

  

3.現代日本の主要衛生害虫獣の歴史的変遷

戦中戦後には長崎を中心に西日本でヒトスジシマカが媒介するデング熱が流行、戦後は復員軍人がマラリアを持ち帰り、シナハマダラカにより各地で流行した戦争マラリア、シラミによる発疹チフスも大流行しました。昭和25年(1950年)には食品中のコナダニが、昭和30年(1955年)にはドクガが異常発生し問題となりました。昭和32年(1957年)前後にコガタアカイエカによる日本脳炎が流行、昭和40年(1965年)には夢の島でイエバエが大量発生、昭和43年(1968年)に団地ができ始めると畳からコナダニが出て騒動となりました。公害で河川が汚れるとユスリカが大発生、昭和54年(1979年)には学童のアタマジラミが問題となりました。昭和57年(1982年)にはチリダニによる喘息やアトピー性皮膚炎が問題に、平成7年(1995年)には海外から貨物とともに持ち込まれたゴケグモ騒動、平成25年(2013年)前後にはトコジラミの再興、SFTSの患者が日本で初めて報告されました。平成26年(2014年)には代々木公園においてヒトスジシマカによるデング熱の国内感染、平成29年(2017年)には特定外来生物のヒアリがコンテナとともに持ち込まれ、現在も定着阻止に躍起になっています。その時々で法律が整備されていきました。図2は害虫獣の歴史的な移り変わりを示しています。

 

図2. 現代日本の主要衛生害虫獣の歴史的変遷

 

4.近代日本におけるベクター由来感染症の来歴

開国後の明治20年(1886年)にはコレラが大流行、明治30年(1897年)に伝染病予防法が施行され衛生組合が発足しました。明治32年(1899年)にはペストが神戸に上陸、その後3府18県に蔓延し明治44年(1911年)までに2,215人が死亡しました。北里柴三郎がペスト菌を発見、東京市はネズミを1匹5銭で買い上げました。明治38年(1905年)に伝染病予防法が改正され、ネズミや衛生害虫の駆除は市町村の義務となりました。戦時中の昭和17年(1942年)には長崎を中心にヒトスジシマカが媒介するデング熱が流行しました。戦後の昭和20年(1945年)にはシラミが媒介する発疹チフスの流行で 3,000人が亡くなりました。平成25年(2013年)には重症熱性血小板減少症候群(SFTS)による日本で最初の患者が報告され、翌平成26年(2014年)には69年ぶりにデング熱の国内発生がありました。

風土病としてのフィラリアは昭和63年(1988年)に、マラリアは平成3年(1991)年に国内での感染はなくなりました。ネズミが保有し宮入貝が中間宿主となる日本住血吸虫症は平成8年(1996年)に完全に終息しています。コガタアカイエカが媒介する日本脳炎とダニのツツガムシが媒介するつつがむし病は少数ですが風土病として残っています(図3)。

 

図3. 近代日本におけるベクター由来感染症の来歴

 

5.わが国の日本脳炎とマラリア患者数の年次推移

復員軍人が持ち帰ったマラリアはシナハマダラカにより国内で流行し、昭和22年(1947年)には2万人を超える患者が発生していました。その後急速に減少し、国内での感染はなくなりましたが、平成3年(2021年)には33人が海外で感染し日本で発症しています。

コガタアカイエカが媒介する日本脳炎は昭和30年(1955年)前後には8,000人を超える患者がいましたが、これも急速に減少し平成3年(2021年)には3名となっています(図4)。

図4. わが国のマラリア・日本脳炎年間患者数の推移

 

6.わが国の動物媒介性感染症

()内は媒介動物

(1) 全国的に散発性だが発生しているもの 日本脳炎(コガタアカイエカ)、ツツガムシ病(タテツツガムシ)

(2) 局在して風土病的に発生しているもの

     レプトスピラ症(ネズミ)、ライム病・日本紅斑熱・重症熱性血小板減少症候群(SFTS)(マダニ)

(3) 特殊な場所に局在して発生しているもの

     腎症候性出血熱(ネズミ)

(4) 2014年、69年ぶりに国内感染デング熱(ヒトスジシマカ)

(5) 現在は流行していないが

     かつては大流行があったもの

     発疹チフス(コロモジラミ)、フィラリア症(アカイエカ)

      ・再興の恐れが危惧されるもの

     マラリア(ハマダラカ)

      ・新興の恐れがあるもの

     ウェストナイル熱(蚊)、チクングニア病・ジカ熱(ヒトスジシマカ)

 

7.20世紀の害虫獣の時代的変遷から学ぶもの

(1) 生活環境の変化の中で減った

     ・自然の衰退・開発で無くなった

     コガタアカイエカ、ツツガムシ、ドクガ

     ・清潔なインフラ整備で無くなった

     イエバエ、アカイエカ、コロモジラミ、ヒトノミ、トコジラミ

(2) 都市環境の中で増える

     チャバネゴキブリ、チカイエカ、ヒトスジシマカ、チリダニ、スズメバチ、ユスリカ、クマネズミ、アルゼンチンアリ

(3) 国際交流の激化の中で増える

     トコジラミ、ゴケグモ、ヒアリ

(4) ヒトの感受性の変化から増える

     昆虫由来アレルギー疾患

(5) 検査・診断技術の向上で表面的に増える

     新型恙虫病、ライム病、日本紅斑熱、SFTS

 

 

ペストコントロールと公衆衛生史(1-2)に続く(2025年3月予定)